苦手と好きの表現は、時として似る場合があるらしい。考えていることが分かりにくいと言われる私は特に、思ってもみないことを指摘されることがあるのだ。例えば、美味しいものを食べているのに口に合わなかったかと言われたり、楽しいのにつまらないかと言われたり。そんなことを繰り返す内に関係が悪くなったことは何度かあった。段々と私は話さなくなったし、顔を上げて生活するのが辛くなった。長く伸びた髪で顔を隠し、俯いて歩く。そうすればもう誰もがっかりさせずに済むと思ったのだ。

「主様はいち兄のことが苦手なのですか?」

 久し振りに投げ付けられた問いは、思いもよらぬものだった。おどおどしながら私にたずねて来る五虎退は今にも泣きそうだ。私はしゃがんで目線を合わせ、どうして、と聞いた。

「ぼ、僕たちがいち兄といると避けていくし、あんまり話したがらない、から…」
「…そう見えてましたか…」
「えっと、あの、その、」

 責めるつもりなど毛頭なかったのだが、ますます泣きそうな顔をする。
 苦手か苦手じゃないかと言われれば、苦手な方だ。賑やかな子たちしかいなかった頃は、私も“それなり”だった。気も手も抜いていた訳ではないが、気負わずにやっていたと思う。けれどそんな所へある日突然現れた藤四郎兄弟たちの兄だという彼は、あまりにきっちりしており、私がそれまでのままではいられなくなってしまったのだ。彼が遠征でここを空けている時くらいしか心が休まらない。
 だから、苦手という問題ではなく、単に私と本質が合わないだけなのだろう。

「苦手なつもりはないんだけど…ごめんね、気をつけるから」
「あ、主様が気にすることじゃ…」

 うちはまだ刀剣の数も少ない。多ければごまかせるという訳ではないが、この人数の内からぎすぎすはしたくない。部隊の士気にも関わることだ。
 しかし無意識下でしている分、どうすればいいものか。まさか全出陣を遠征にするわけにもいかない。苦手なものを克服するには敢えてそこにぶつかって行くことが大切だとも言う。が、果たしてそれは有効なのか。五虎退が察しているということは、本人はなお気付いているかも知れないし――……

「あ〜主が五虎退泣かせてる〜」
「泣かせてません!」

 突如入った横槍、聞き慣れているものの、今現在ここにいるはずのない声に思い切り振り向く。すると、遠征に行っているはずの部隊が帰還していた。当然その中には渦中の人物――一期一振もおり、目が合うとつい癖で目を逸らしてしまった。逸らしたその先にはまた五虎退がいて、私は苦笑いするしかなかった。
 これだけあからさまであれば気付かれないはずがない。私はこの後どんな言葉をかけるべきか、何事もなかったかのようにすべきか、大きな選択を迫られている気分になった。
 きっと私は、あの目から逃げる方法をいつも探している。真っ直ぐがゆえに全てを見透かされそうで、一度捕まったら逃げられなさそうで、穏やかな顔をしつつ誤魔化しも嘘も許さないと言っている時がある。それを私に向けられた時、疚しいことなど何もないのに何の言い訳も浮かんで来ないのだろう。これは一種の恐怖でもある。

「主、五虎退が何かしましたか」
「いえ、何も…少し話していただけです」
「主は時々口きついからなあ」
「なっ鯰尾は黙ってて下さい!」
「いち兄にも当たりきついし」
「え!?」

 まただ。鯰尾にまで言われてしまった。もしや誰もが気にしていることなのだろうか藤四郎兄弟たちだけでなく、他の者たちも。
 言葉に詰まった私を見兼ねてか、一期一振は苦笑しながら「主を困らせてはいけないよ」と鯰尾を窘めた。それはもう「自分も気にしています」と言われているのも同然の口調で、私は反省するしかなかった。
 区別するつもりも差別するつもりもない。短刀たちを贔屓するつもりだってない。なのに心が苦手意識を抱いている間は決して解決することはない。困った、これ以上はもう逃げられないというのか。

「つ、冷たくしているつもりは、ないのです」
「主?」
「ただ、あなたには誤魔化しが効きませんから…目を見れば嘘をつくことができなくて、本当のことしか言えなくなりそうで、」
「お、お待ち下さい主」

 私の唇の手前に、弁解の言葉を制止する手があった。私以上に彼の方がなにやら慌てふためいている。焦る私は不安になり、ゆっくり顔を上げて彼を見ると、なぜかもう片方の手で自身の顔を覆っている。困らせるようなことを言ったつもりはさらさらないのだが、一体何が彼を困惑させているのだろうか。

「うちの主は罪作りですねえ」
「へ!?」
「五虎退行こう、あんまり邪魔しちゃだめみたいだ」
「待ちなさい鯰尾!遠征の報告は!」
「後でゆっくり報告に行きまーす」

 この場を引っ掻き回しておいて去っていくやつがいるか。だが鯰尾を引き戻そうとした手は空を掻き、行き場を失ってしまった。遠くで誰かが手合わせをしている声だけが残り、それ以外の物音はまるで聞こえない。いや、気まずさから上昇した心拍数がやけに大きく聞こえる気がする。残された私はどうすればいい。何事もなかったかのように立ち去るか、話の続きを何とかするか、いや、そもそも彼が私の弁解を止めた理由は一体。
 恐る恐る、ぎこちなく振り返れば、まだ一期一振はそこでこちらを見ていた。またあの目だ、こちらを窺うような目。心の内まで見ようとするような目。本人は意図していなくても、私が意識してしまう。逃げなければ、とさえ。

「貴女はきっと、私が苦手なのでしょう」
「…………」
「至らぬ点があるのでしたら仰って下さい。直すよう努めます」
「あなたに非など…」

 寧ろその逆だ。脇差しの二人や短刀たちにとって、目の前の彼は憧れの塊であり、兄の鑑とも言える存在である。私のコンプレックスを増幅させるような。

「立派な方です、刀としても兄としても。私は姉でしたが、良い姉ではありませんでしたから、あなたを見ていると駄目な自分ばかり見えてしまう」
「それが私をお避けになる理由ですか」
「…他は自分の問題です」
「寂しいことを言われますな」

 そう言うと、すっと手を伸ばして私の頭を二、三度撫でた。一瞬、何をされたのか分からず、その手を振り払うかのように思い切り顔を上げた。ぱちぱちと数回瞬きをすれば、おかしそうに小さく笑って見せる。
 知らず知らずの内に避けていたからだが、彼がそんな風に笑うだなんて知らなかった。普段から穏やかな表情を浮かべてはいるが、もっと柔らかく、優しく笑う。きっと藤四郎兄弟たちにはいつもこんな顔を見せているのだろう。ということは、私は今、弟たちをあやすかのように扱われているのだろうか。小さな子どものように。
 途端に恥ずかしくなる。子どもだなんて、もういい大人なのに。真っ赤になった顔を見られたくなくて、私はまた彼に背を向けた。

「主も立派な方です」
「私なんて、そんな」
「少なくとも私はお慕いしております」
「へ!?」

 また振り返る。さっきよりも一段と赤くなって。しかし、さらりと「弟たちも」と言う一期一振に、私は「あ、ああ、ハイ…」と壊れた機械のように返事するしかなかった。一度落ち着きかけた心拍がまた暴れ出す。とんだ爆弾だ、やはり必要以上に関わるのは止した方が良い気がする。避けるまでは行かないにしても。
 頭が痛くなる気配を感じながら溜め息をつく。そんな私に、すれ違いざま彼は私の耳元で囁いた。

「どういう意味だと思われたのですか」
「え…」

 聞き返そうとしたが、待って、と呼び止める間もなく彼は言ってしまった。
 言葉の意味が分からなかった。何から続いた言葉なのか。それを、何度も何度も繰り返し、かみ砕いてみる。嚥下する直前でもう一度味を確かめる。けれど、何度確かめても同じ所にしか着地しない。同じ意味にしか受け取ることができない。
 とんでもないことだ。彼もやはりただただいい人ではなかった。最後には私をからかった。動揺した自分が恥ずかしい。覚悟を決めて謝罪も弁解もした私は一体何だというのだ。

「や、やだ……」

 それなのになぜ、いつまで経ってもこの顔は熱いのか。なぜ速まった鼓動は鳴り止まないのか。指先から全身に戻る血が熱いのはなぜ。さっきの声がまだ耳元で繰り返されるのはどうして。
 浮かび上がった一つの可能性を、私は掻き消すことができなかった。








(2015/05/12)