プリズム




 自販機コーナーに行くことができない。
 どうしてもこれまで通りに先輩と顔を合わせられる自信がなく、いつもの自販機の前で先輩が俺を待ち伏せしているのを見つけて直ぐさま教室へ帰って来た。

(ていうかあの人、なんでもう学校来てんだよ!)

 とてもじゃないが、昨日あんなにも辛そうに呼吸していた人間だとは思えない。いつものようにイチゴオレのパックを片手に平然と立つ姿と昨日の弱った姿とはどうしても結び付かないのだ。
 けれど、昨日は確かに俺は先輩の家に行った。先輩の部屋にも入って、先輩に会った。今思えばなんであんなことをしたのか分からない。部活の後輩でもない癖に、気付いたら教えてもらった先輩の家の前にいた。心配だったから、という気持ちがなかった訳ではないが、けれどそれよりももっと自分勝手で不純な理由なのではないか。“心配”以上に“会いたい”が先に立ってはいなかったか。一日学校で会わないだけで、あんなにも物足りないと思ってしまった。なんでもいいから声を聞きたいと思ってしまったのだ。

(けど、だからって…)

 昨日のアレはない。病人というのは意外と力があるもので、意識が半分覚醒していない先輩は、俺を見ると起き上がって倒れ込んで来た。そこから起き上がろうとせず、あまつさえ俺に抱き着いたまま離れなかったのだ。脱力している人間に全体重をかけられるとさすがに上手く身動きがとれない。お陰で何とか先輩を引きはがそうとしたにも関わらずそれは逆効果で、二人して床に倒れ込んでしまった。
 そのことを先輩は覚えているのだろうか。それとも意識が虚ろだったせいで何も覚えていないだろうか。俺にあんなことを言っておいて。

(す、すすすすす…)

 好き、などと。
 もし忘れていたら、どうするべきなのだろうか。あったことをそのまま伝えるべきか、全て隠したまま自分だけの秘密にするべきなのか。どちらも非常に気が引ける。「俺、先輩に好きだって言われました」なんて言えるはずかなく、だからと言って一人で抱えておくには重過ぎる。どうするのが最善なのだろうか。
 逆に覚えていた場合も、それはそれで厄介である。なんと返せばいいのか困る。先輩はとんでもない爆弾を落として行ってしまった。先輩のことだけで頭を悩ませているわけにはいかないと言うのに、昨日から何をしていても先輩が頭から離れてくれない。

「影山ちゃん!」

 ほら、先輩のことを考え過ぎてとうとう幻聴まで―――

「影山ちゃん無視!?」
「先輩!?」
「あ、なんだちゃんと生きてる」

 幻聴ではなかった。本物の先輩がすぐ目の前にいる。一年の教室だというのに平然とした顔で俺の机の前に仁王立ちしているのだ。
 思わず先輩を教室に放置して逃げようかと思ったが、きっと先輩のことだからどこまで逃げようと追い掛けてくるに違いない。予鈴が鳴ろうと気にしないだろう。何せこの先輩はしつこい。
 だが昨日の今日で俺が先輩を前にして平常心を保てる訳がない。顔を見ることもできないのだ。先輩から視線を逸らしながら「なんですか」と言うと、「ちょっと顔貸しているもらおうか」と、いい笑顔をしながら言われた。逆らってはいけない雰囲気だと悟り、渋々ついて行くことにした。そして教室を一歩出た途端、

「避けてるよね?」

 図星をつかれる。

「昨日来てくれたのって影山ちゃん?」
「い…ってますせん」
「ふはっ、どっちなの!ていうかバレバレだし!」

 こっちの気持ちなど微塵にも知らない先輩は、いつものように笑って背中をばしばしと叩いて来る。触られた途端、昨日のことが思い出されて益々恥ずかしくなり、手を振り払いこそしなかったものの、思わず先輩から離れてしまった。
 まずい、余りにもあからさま過ぎた。これでは昨日何かあったと思われてしまう。現に、目の前にいる先輩は首を傾げて呆然としている。必死で言い訳を考えるも、これだけ動揺していれば思い付くはずもない。結局「スミマセン」としか言えず、早々に立ち去ろうとした。
 したのだが、先輩に背中を向けると共に、ぐいっと制服の裾を引っ張られる。よく先輩が俺を引き止める時にやっているものだ。慣れては来たが、やはり突然されるとバランスを崩しそうになる。

「あぶな…っ」
「影山ちゃん、私何かした?」

 ふざけているのでも何でもない。心配そうな顔で先輩は俺を見上げる。そんな顔を見たら、とてもじゃないが本当のことが言えなくなってしまい、

「…いや、何も」

 そう答えるしかできなかった。







(2014/12/22)