「あはは!何それ!」

 昼休み、リップを塗り直していたら笑われた。何それ、と友人が指差したのは私が手にしているリップだ。どこの薬局にでも売っているそれは、いつも私がつけているものよりずっと赤かった。

「あれだけルージュに拘っていたがどういう風の吹き回し?」
「うるさいなあ…私にだって事情の一つや二つあるのよ…」

 普段持ち歩いているものは一本だが、家に置いているメイクポーチには結構な本数のルージュがある。ファンデーションやアイシャドーより、私はルージュを集めるのが好きなのだ。けれど、大学に上がって忙しさの質が変わったからか体調にも変化があり、これまで荒れることのなかった唇が悲惨なまでに荒れるようになってしまった。お陰でこれまで選びたい放題だったルージュが御隠居中なのである。

「下地に薬用リップ使えば良いじゃん」
「んー…まあ、そうなんだけど…」

 生返事をしながら赤い色つきリップを鞄にしまう。このリップだって自分で選んで買った訳じゃない。私の好みの色と言うのはもっとこう、こんな赤い色ではないのだ。アプリコットやピンクが好きで、色つきリップとはいえ赤なんて選ぶことはない。朝会った瞬間、彼女に二度見されたのはそのせいだろう。
 けれど、使うしかないではないか。あの影山くんが買ってくれたとなれば。化粧品のことなんて何も分からない癖に、「唇が荒れるんだよね」と気にしていたら翌日薬局の紙袋に入ったこれを渡されたのだ。あの時の真っ赤な顔と来たら、こっちの方が恥ずかしくなる。きっとろくに色なんて見ず、適当に引っ掴んでレジに持って行ったのだろう。あの影山くんがそんなことをしている所を想像したら笑えるけれど。

「あー…はいはい、がでれでれの例の彼氏ね、次高校三年だっけ?」
「でれでれ!?」
「影山のこと考えてる時、あんた口尖らせて赤くなってるの知ってる?」
「し、知らない…!」
「どうせ“あの影山くんが買ってくれたんだから使わなきゃ、はあと”くらい思ってんでしょ?あーやだやだ」
「違うし!」

 両手で頬を隠す。確かに今、リップを渡された時のことを思い出していたが、そんなに顔に出るものだったか。そんな癖があったなんて今初めて知った。
 そうからかわれたことをその日の内に影山くんに言えば、彼にも「知ってました」と言われてしまった。私はバイト帰り、影山くんは部活帰りで大体いつも時間が被る。そのため、高校と大学と言う壁はあれど、ほぼ毎日顔を合わせることはできているのだが、バイトがない日も私はサークルに入っているので、どの道、帰りは同じくらいの時間になる。周りの友人のように休みの日に頻繁に会うことはできないけれど、その分こうして短い帰宅の時間を一緒に歩くことができるのは、私が一日の内で一番気持ちの落ち着く時間だった。
 それにしても、癖と言うのは本当に自覚のないものである。恥ずかしいやらショックやら、頭を抱える。例えば、私以外の友人が恋をしただのなんだので赤くなっているのは可愛いと思う。とても可愛いと思うのだ。けれどそれを自分に置き換えてみると気持ち悪いことこの上ない。恋する乙女というのは可愛いものだと相場で決まっているが、自分がそこに当てはまる乙女な要素など一つもない。友人にも「気持ち悪い」の一言でばっさり切られてしまった。

「あ」
「なに?」
「いや…」
「え、なにそれ」
「勘違いだと嫌なんで」
「え、なに、なんのこと」

 いきなり要領を得ないことを言い出す影山くん。問い詰めるがはっきりと答えてくれない。すると、立ち止まってじっと私の顔を見た。

「な、なんだろう…」
「間違ってたらスンマセン、それ、もしかして」

 そう言って私の唇を指差す。そこで、「あ」と小さく声を漏らした。その次に、うそ、という気持ちが湧いて来る。まさか、影山くんが気付くなんて思わなかったのだ。髪だってばっさり切らないと気付かないような影山くんが、新しいマニキュアを試して見せても薄い反応しか返って来ない影山くんが、まさか。

「分かる?」
「いや…はい、まあ…俺が選んだんで…」
「そ、そっか、そうだけど…そっか…」
「たまには、違う色もいいかなって…」
「え!?あっ、そう!?そ、そっかあ…!」

 どうしよう、いつもの影山くんらしかぬ言葉ばかりが出て来る。てっきり、適当に選んだものだとばかり思っていたが、実はそうではなかったらしい。それはそれで、なんだかその場を想像すると面白い。あのたくさん並んでいる薬用リップのコーナーで、こんな背の高い男子高校生が一人、真剣な面持ちでリップを選んでいると思うと。けれど、そんなことまで考えてこの色を選んでくれたのだと思うと、嬉しいやら恥ずかしいやら、やっぱり嬉しいやら。別に付き合い始めたばかりでもないのに、結構、いやかなり照れる。意外なことをされると、どうにもいつも通りにはいかない。

さん」
「ん!?うんっ!?」
「いつか、ちゃんとしたやつプレゼントします」
「へっ」
「薬局のじゃなくて、さんがいつも、使ってるような…」

 もごもごと言いながら、私から目を逸らす。向かい合いながらそっぽ向く影山くんの顔は赤い。それを見ていたら私も顔が熱くなるのを感じた。
 付き合い始めた頃は、それこそ会話も成り立たなかった。高校卒業まで半年を切った頃、影山くんに告白されて付き合い始めて。卒業までかな、なんて思いながら付き合っていたけれど、卒業後も離してはくれなくて。それどころか、あまり言葉にはしないけれどこうして実は結構私のことを考えてくれていることを知って私が離れられなくなって―――その反動でか、会える時間が減って大学に入学したばかりの頃は、寂しくて何回も泣いた。けれどその度に何も言わずに受け止めてくれた、別れようと思う度にそれを見抜いた影山くんに別れるつもりは少しもないと言ってくれた。
 今更、こんなことで嬉しくて仕方ないなんて思わなかった。それから、まだこれから先を示してくれたことが、何より嬉しい。来年も、その先も、影山くんは考えてくれている。私だけじゃなくて、影山くんも。

「…待ってる」
「あの、できれば気長に…」
「うん、待ってる」

 告白されたのは、突然だった。あの頃、最近バレー部がすごいと噂では聞いていて、クラスにバレー部員がいることから、その名前を何度か耳にしたこともあった。けれどどこに接点があったのか知らない、私を見付け出した影山くんに好きだと言われた時、思い出作りかな、と思ったのは私の方だ。それが結局、今でも思い出を作って行っている。
 きっとこのリップだってそう。いつか、初めてもらったルージュが色つきの薬用リップだったことを二人で思い出して笑うのだろう。









(2016/02/26)