その日は、夜遅くまで起きていた。起きていようと思って起きていた訳ではないが、待ち人をしていたらいつの間にか日付も変わってしまっていたのだ。すっかり冷めてしまった夕食、食べ損ねたデザート。お腹の音は鳴るけれど、空腹感がやって来ない。私はテーブルに肘をついて何度目かの溜め息をついた。
 帰って来ない。帰って来ないのだ、恋人が。今日くらいは、と思ったけれど私は大学生を侮っていた。今日くらいはじゃない、今日こそ帰って来ないのだ。
 その時、じわじわと訪れていた眠気を攫うかのようにピンポーンとインターホンが鳴る。まさか、と思って飛び上がり、滑りかけながら玄関へ走って行く。外も確認せずに「おかえり!」なんて叫ぶと、そこには天敵の顔があった。

「誰と間違えてるんだろう〜」
「……あんたが抱えているそのおっきな子どもですけど」
「あれー随分素直だね」
「早く返して下さい」
「いやそもそも俺のじゃないし。ほら」

 私の中学の同級生であった及川が、その待ち人を引き摺って来たのだ。抱えているなんてものではない、完全に引き摺られている。どうやら大分飲まされたらしい。毎回こうなることは分かっているから普段から飲み会は気をつけろと言っているのに、それを学習しないのが彼―――影山飛雄らしい。
 及川から彼を奪い返し、「どうもでした」とだけ言って追い返そうとすると、ドアに足を挟まれた。卑怯だ。

ちゃんさ、今日明日と有給とったんだって?」
「はっ!?」
「何するつもりだったんだろうねえ」
「は、えっ、あ!?ああ!もうクソ及川帰れ!帰れ!!」
「はいはい楽しんでね〜」
「黙れ!二度と!来るな!」

 渡された飛雄くんの重みで途切れ途切れに叫ぶしかない私を嘲笑しながらドアを閉めて行く及川。二度とうちの敷居は踏ませない。
 それでも、飛雄くんの仲間内で緊急時の飛雄くんの行き先がうちであることを知っているのは及川くらいなので、いつも及川が送り役になってしまうのだが。言っておくが、同棲している訳ではない。よく転がり込んでは来るが、一応大学生で日本代表なんかやっていたりする彼には、ちゃんと寮と言うものがある。だが、なぜか飲み会の時は抜かりなく外泊届を書き、及川の世話になってまでうちに運ばれて来たのはもう数えきれないほど。今日もその典型だった。
 なんとかかんとかリビングまで飛雄くんを運び、フラットにした座椅子に寝かせる。

「うちはシャワー浴びないとベッドに寝かせないんだぞー…」

 まるで起きる気配のない飛雄くん。今日、誕生日だった飛雄くん。今日のためにあれこれレシピを調べて作ったポークカレーも、ケーキも、全部無駄になってしまった。こうなることは何となく予想できていたのに。部の集まりを抜けられるはずがないのだ。私の部署の飲み会を断るのとは訳が違う。
 高校の時から大きかった飛雄くんは、高校三年間の内でもまだ身長は伸びた。もうさすがに止まっただろうが、相変わらず寝顔だけはあどけない。起きている時は大人びたなあとか、成長したなあ、と思うことが度々あるというのに、こうして熟睡している所は高校生の時のままだ。酒臭いけど。

「寂しかったんだよ」

 くしゃりと髪を撫でてやる。一瞬眉間に皺が寄るが、起きる様子はない。
 今日は私もここで寝るしかないらしい。飛雄くん一人をここにほっぽって私だけシャワーを浴びてベッドで寝る訳にもいかない。さほど大きい訳ではないこの部屋にソファなんて上等なものはなく、床に寝るならただいま飛雄くんが使用中の座椅子くらいしかない。一応、絨毯は敷いてあるけれど、ここに寝たら明日腰痛になること必至である。
 今日と言う日がある時点で、こうなることは必然だったのだろう。飛雄くんの誕生日となれば飲み会になるだろうし、そうなれば飛雄くんはちゃっかり外泊届を書き、及川に送られてうちにやって来る。そうして明日の朝までここで寝るのだ。文字通り、睡眠と言う意味で。
 及川がほのめかして行ったことを期待しなかったと言えば嘘になるけれど、別にそれが目的で今日明日と休みをとった訳ではない。こうなることを予想してとったのだ、飽くまで。けれどそう思えば思うほど言い訳がましく思えて来る。
 本当は期待した。もうちょっとだけ早く飛雄くんがここへ帰って来て、せめてケーキだけでも、なんて考えた。私の方が二つも年上なのに、何しているのだか。これだから「意外と乙女だねえ」なんて言われるのだ、周りに。

「明日が休みで良かったね、飛雄くん」

 眠る彼の額にキスをして、一旦その場を離れる。せめて私はメイクを落として、別の部屋からブランケットを持って来て、飛雄くんにかける。私はその中に潜り込む。飛雄くんの腕の中にごそごそと潜り込んで、良いポジションを探る。やがて丁度いい具合のところに収まると、おやすみ、と言って彼の胸に顔をうずめる。
 次に起きたら、飛雄くんはどんな顔をするだろう。いつも起きたらこの部屋にいることに驚いてはくれるけれど、朝起きて、私の顔が間近にあったら。いつもなら私は先に起きて朝ご飯の用意をしているけれど、そんなこと一つもしていなくて、飛雄くんが起きるまで飛雄くんの胸の中で眠っていたら。
 ああ、なんだかそんなことを考えていたら眠れなくなりそうだ。でもいいでしょう、誕生日にはサプライズがつきものなのだから。
 頭の上から、飛雄くんの小さな唸り声が聞こえた。私は、少しだけ笑って目を閉じた。









(2015/12/22)