。しがない専門学生で書店バイト。そんな私には、実に多彩な男性遍歴がある。と言っても自慢できるようなものではなく、ロクでもないものばかりだ。最初の彼は付き合って二週間目に部屋を訪れたら知らない女とお楽しみ中。次の彼には危うく夜の仕事に放り込まれそうになった。その次の彼はおかしいと思えば男が好きだった。その他諸々エトセトラ。しかしこんな経験をしただけのことはあり、多少のことでは動じなくなった。
 だから、目の前に男子バレー日本代表、影山飛雄がいて、私に好きだ付き合ってくれと言って来てもさほど驚きやしないのだ。
 若干十九歳で日本代表となり、世界大会だかなんだかの時、連日テレビに映っていた天才選手のことなら、いくら世間の情報に疎い私でも知っている。この近くの大学に在籍しているとは聞いていたが、まさかバイトの出待ちをされているとは思わなかった。

「…………初対面ですよね」
「初対面じゃないっス」

 言ってることが分からない。いくら記憶を掘り起こしても、彼と話したり接触したりした覚えはない。接客したことでもあったかと思ったが、こんな有名人が相手だったらきっと覚えているはずだ。
 人違いでは、と言ってみたが、そんなことは絶対ないの一点張り。

「とりあえず付き合って下さい」
「とりあえずじゃ付き合えません」
「…………」
「影山さんって友達いないんじゃないですか」
「なんで俺の名前知ってんスか」

 切れ長の目を見開いて驚いて見せる。知っているも何も、スポーツ雑誌のコーナーで月刊バリボーの表紙まで飾っているじゃないか。わざとなのか、天然なのか、いや、この驚き方は間違いなく後者だろう。私の方は突然の告白にも驚きはしなかった。うぬぼれている訳ではない、冒頭のとおりであるからだ。
 私としては、この真冬の夜にバイトも終われば一刻も早く帰りたいもの。だがこうして影山飛雄選手に捕まってしまえば簡単にスルーできるはずもなく、経験したことのない突拍子もない告白をされれば対応に困るしかなかった。

「とりあえず整理しましょう。私はあなたと初対面です。オーケー?」
「俺は初対面じゃ」
「私は、初対面、です」
「…っス」

 少々きつい口調でそう説得すれば、渋々、と言った様子で返事をする。どうにもこうにも納得していない彼は、まるで子どものように口を尖らせた。

「そんな相手に突然付き合えと言われても付き合えません」
「じゃあどうすればさんと付き合えますか」
「私が影山さんを好きにならなければ付き合えません。ていうか、そっちこそなんで私の名前知ってるんですか」
「調べました」
「ストーカーじゃないですか」
「他の店員さんに名前呼ばれてたんで」

 なるほど、何度かここに来店していたのか―――いや、納得している場合ではない。大体、現実味がないのだ。この、世界レベルの有名人に自分のような一般人が告白されるなど。まして、付き合って隣を歩く姿など、よく知りもしないバレーの試合を観に行くなど。全くもって想像することができなかった。
 けれど、影山飛雄は退こうとはしない。じりじりと私の返事を待っている。返事なら先程からしているつもりなのだが、これっぽっちも伝わっていないらしい。これは、首を縦に振らなければ帰らないパターンだ。
 好きだと言われて嫌な気持ちになる人はいないだろう。普通であれば。ただ、何度も言うが冒頭のとおり私は男性関係で随分痛い目を見て来ている。とうぶんは関わりたくない、そっとしておいて欲しいというのが本音だ。つまり、今この告白はただの有難迷惑なのである。

「じゃ…じゃあ、あれっスか、と、と…」
「と?」
「友達、から…」
「ともだち……?」

 よく知った単語のはずなのに、その四文字を頭の中で変換することができなかった。ともだち、ともだち、と口の中で何度も繰り返して見る。友達、にしかならない。

「…影山さんは、なんで私なんですか?」
「なんで、って…」
「影山さんくらい有名だったら、寄って来る女の子なんて星の数ほどいるでしょう」
「興味ありません」

 言ってみたいわ!!―――自分の顔が引き攣るのが分かった。
 良くも悪くも正直らしい彼は、私を段々と脱力させて行った。話の通じなさにがっくりと肩を落とすも、影山飛雄は不思議そうに首を傾げるだけ。その図体で首を傾げても私はきゅんともすんともしないのだが。

「大体そんな、さっきから顔色一つ変えずに付き合ってくれだのなんだのって」
「さっきからすっげぇ緊張してます」
「嘘つけって言って良いですか?」
「名前呼ばれる度に心臓がこう、すっげぇ、しんどいです」
「病院行きます?」

 駄目だこりゃ。本気で真面目に相手にすればするほど疲れてしまう。大体、友達から、って一体何をするというのだ。昭和か、ここは。いや、平成でも使うのだろうが、今時聴かない言葉ではないか。一体どこのどいつの入れ知恵だ。恋愛慣れ、していないのではないだろうか。
 それもそうかも知れない。若干十九歳で世界へ飛び出していくような大物、恋のひとつふたつする暇だってなかったかも知れない。むしろバレーが恋人、とか。
 だから、多分なにか勘違いしているのだ。偶然バイト中に見掛けた私が何かの間違いでとてもいい人のように見えて(制服マジックとも言う)、うっかり何か、勘違いをしてしまったのかも知れない。
 それなら早々に目を覚ましてやらなければ。私はあなたのような人に惚れられるような大層な人間じゃありません、と。

「…それで、私と友達になって何したいんですか」
「友達になってくれるんスか!」
「あー…はい…そうですね…」
「メ………」
「目?」
「メール、したいっス…」
「めーる」

 まあ、そりゃあそうだろう。真っ当な答えにすら、ぎこちなく答えてしまう。十九歳がまるで中学生に見える。私より二つほど年下と言うだけで子どもに見えてしまうのに、そんなリアクションをされると尚更。

「あ、アドレスを…」
「はい、どーぞ」
「……この数字、誕生日ですか」
「……そうね…」
「分かりました」

 いや、何が分かりましたなんだよ!―――つっこんでもつっこんでもつっこみ足りない。この大きな子ども相手に私が恋を出来る気がしない。いっそ微笑ましく思いながら、必死に私の携帯画面を見ながらアドレスを登録している影山飛雄を見つめる。ありがとうございます、と言って返された携帯には新着メールが一通。開封してみると見たことのないアドレスだ。もう送って来たのか、この子どもは。そわそわした様子でいるため、そのメールにその場で目を通す。その内容に私は思わず携帯を落としそうになった。

「は……なにそれ……」
「あ、あの!今日話せて嬉しかったっス!また来ます!」
「あっ、ちょっと!」

 制止の声も聞かずに走り去って行く後ろ姿。送って行く、という考えは一ミリもなかったのか。どんどん遠ざかる背中と、まだ画面のついたままの携帯を交互に見やる。

「こ…これを直接言えば良かったんじゃないの…」

 三か月前にこの本屋に来た時に一目惚れしました。好きです。―――そんな風に綴られた簡素なメール。それを私が読んだ瞬間の顔、それだけは忘れられない。それまで少しも顔色の変らなかった彼が、急に真っ赤になったのだ。いやいや遅いだろう、というつっこみも最早遅く。
 この一通のメールのために、彼は一体ここでどれだけ待ったというのだろう。こんなにも寒い、十二月のさなかに。本当に恋愛慣れしていないのだろう。単なるナンパより余程たちが悪い。なんだか頭が痛くなって来た。これは変に軽くあしらえないタイプだ。
 とりあえず、返信ボタンを押す。けれど、アパートに帰るまでの徒歩十五分、考えても考えても返信内容が思い浮かばない。とうとう家に到着していまい、部屋に入ると鍵をする。そのままドア伝いにずるずるとしゃがみこんだ。
 もう一度、送られて来たメールを読み返す。

「どう返事しろって言うのこれ…」

 今更、直球なメールに恥ずかしくなって来た。簡素ながらも、こういうストレートな言葉が一番キく。大きなため息をついて、携帯を閉じる。もう一度開ける。その繰り返しだ。その間も、影山飛雄が私からの返信を待っているのでは、という思いがぐるぐるとめぐって、そわそわする彼の姿が頭の中に浮かぶ。
 しばらくはこういうのはごめんだったのに。今度こそは、今度こそは、と思いながら辛い思いもいっぱいして来たのに。この人なら大丈夫、なんて確証はないのに。こんなメールなんて無視してしまえばいいのに。
 気付けば、ありがとうございます、練習頑張ってください、と打ってる自分がいる。二の舞、三の舞ならもうたくさんのはずだ。それなのに、なんで、今私の顔は熱いのだろう。こんな、こんなにも幼稚なメール一通のために。
 次にメールの返事が来るまで、玄関から動けそうにない。







(2015/12/02)
Thanks...はこ