にこにこする私の前で、口いっぱいに夕飯を頬張る、大学生男子。街を歩けば姉弟と間違われ、友人には犯罪だなんだと言われ、それでも私は、目の前の彼と男女の交際というやつをしている。この春大学生になったばかりの彼は、これでも日本代表の旗を背負っているのだ。ただのいち会社員の私にはまるで相応しくないほど。

「とびおくん」
「はい」
「おいしい?」
「?はい」

 ルージュの色を変えた、髪を切った、ネイルを新しくした―――そういう私の変化に気付く男なら他にもたくさんいる。女性の少ない部署のため、誰でも良いから女性を、と言われれば真っ先に私に声がかかるのも事実。そんな仕事モードの私には、多分彼は興味がない。彼にとっての私は、この部屋で過ごす、あるいは二人きりの時の私だけで、それだけ分かっていればいい、という風なのだ。
 それに耐えられない女は耐えられないのだろう。学生だろうと社会人だろうと関係なく。私だって、寂しくなったことが一度もないと言えば真っ赤な嘘になる。けれどどんな寂しさの穴も、結局彼を目の前にしてしまうと全て埋まってしまうのだ。

さん、何かあったんですか」
「え?」
「泣きそうなんですけど」

 はい、と言って箱ティッシュを私に寄越す。もちろん、口だけはもぐもぐと動かしたまま。

「私、泣いてる?」
「まだ泣いてませんけど」
「じゃあ要らないよ」
「そうスか」

 彼の前では絶対に泣かないと決めている。それは心配をかけてはいけないとか、そんな優しい理由ではない。年上としてみっともない姿を見せてはいけないと言う可愛くない理由からだ。けれど、変に意固地になっている所を、見た目の変化に少しも気付かない癖に見抜いて行く時がある。
 泣きそうだったのは、本当だ。今日のいろんなことを思い出して、泣きそうになることなんてしょっちゅうある。それは仕事のことだったり、彼とのことだったり、様々なのだけれど、彼より何年か早く生まれて何年か分長く生きていても、それは個人の強い弱いには関係ないらしい。
 彼が年下でなかったら、なんて考えたこともないけれど、私が甘え上手だったら、と考えることは度々ある。そうしたら、「年上なのだから」と意地を張らずにつらい時はつらいと言えたのかも知れない。だから、いつだって泣きたくなる時は私の後悔から始まる。

さん」
「なに?…う、わっ」

 急に、その長い右手を伸ばして私の頭をがしりと掴んだ―――もとい、ぐしゃぐしゃと髪の毛を乱した。二、三度それを繰り返すと、また右手は元通り箸を握る。その顔は心なしか満足げだ。なんだかよく分からないが、こんなことをされることは滅多になく、珍しいのでなんだか気恥かしくなる。

「髪、切ったんスね」
「へ…?え、あ、あぁ…うん…うん?」
「気のせいかなと思ったんですけど、触って見たら、昨日より少なかったんで、量が」
「量……」
「い、いやあの!抜けたって言ってるんじゃなくて!」

 別に、何か私に気を遣っての行為ではなかったらしい。単なる髪の確認行為だったのだと分かり、ちょっとときめいていた私がおかしい。
 ああ、もう、こういうところが堪らないのだ。何か言われた訳じゃない、何かしてもらった訳じゃない、それでも無意識に私にくれる何か一つ一つが私の心を救っていく。それが恋しくて、愛しくて堪らない。

「好きだなあ」
「はい?」
「とびおくんのそういう所、好きだなあ」
「は、はあ…」

 今度は彼がぽかんとする。最初こそこうやって唐突に好意を口にすれば真っ赤になっていたものの、最近は私のあしらい方を一丁前に覚えたらしい。それでも隠せていない赤い耳が可愛くて、私はまたにこりと笑う。彼は気まずそうに水を一口。今じゃベッドの上では好きなんて言う余裕を与えてくれないものだから、こういう時くらいしか伝えられないのだ。
付き合うのつの字も分かってなかったような子が今や、これだもんなあ―――思い出して小さく溜め息をついた。

「お、俺も、好きですよ」
「え?」
さん」
「あ、ああ、うん、ありがとう」
「…なんで普通なんスか」
「なんでって言われても…もっと喜ぼうか?」
「いや…そうじゃなくてこう……」

 夕飯を食べ終わった彼は、大きな溜め息をついて見せる。私が照れるとでも思っていたのだろうか。残念ながら、私以上に照れながら珍しいことを言う彼を見ていたら、いっそ冷静になれたのだ。
 撃沈している彼を見て小さく笑うと、じとりとこちらを見て「覚えておいて下さいよ…」なんて言う。ああ、怖い怖い。
 恋なんかじゃないでしょ、と同僚は言う。弟の面倒を見ているようなもんでしょ、と。けれど、これが恋じゃないと言うのなら、彼がこの部屋に来ない日を思って痛くなる心臓や、泣きたくなる夜、触れられた時のときめきや幸せは、なんと説明すればいいのだろう。同じ空間で時間を共有しているだけで心が満たされて行く感覚を、恋に含まずに何にカテゴライズすればいいというのだろう。
 悔しそうな顔をしているとびおくんを見て、私はもう一回「そういう所もすき」と言った。







(2015/10/08)