俺には、本当によくできた彼女がいる。

「影山さんっ!靴下はこっちの籠って言ったじゃないですか!そろそろ学習して下さい!」

 言葉遣いこそ敬語だが、俺が帰ると最初に言われるのはまるで母親のような小言だ。まずその日の説教から始まり、「大体ですねえ…」と過去の失態を掘り返され、そして一頻り文句を言い終えると―――

「というわけで、おかえりなさい」
「…ただいま」

 ここでようやく玄関を上がらせてもらえる。どれだけ練習で疲れていようと、試合の後だろうと、彼女―――が俺の家に来る日はこれが待ち受けていることだけがやや憂鬱だ。とは同居している訳でも、ましてや結婚している訳でもない。なぜならこう見えてはまだほんの女子高生であり、本来の彼女の部屋は俺の二つ向こうだからだ。
 バレーが生活の中心になると、どうしても家のことは疎かになる。と付き合い始めてすぐに、「このままじゃいけません…」と真っ青な顔をし、は俺に俺の部屋の合鍵を作らせた。宮城では考えられないことだ。東京の女子高生と言うのは誰もがこんなに押しが強いものなのか。チームメイトからは危機感を持てとは言われたが、どうしてもが窃盗などを働くようには思えなかったため、暫く好きなようにさせていた。その結果が今だ。

「あっ、ちょっと待って下さいね、テーブルの上散らかしてて…」
「宿題か?」
「もうすぐ定期考査なので」
「…………」

 慌てて教科書やノートを鞄にしまう。俺は気付かれないように溜め息をつきながら自分の荷物を部屋に置いた。
 何もそんな忙しい時期にまで来なくてもいいものを、一度始めたらたとえ一時でもストップするのは嫌らしく、定期考査中だろうと大事な模試前日だろうとはうちにやって来る。何度言い聞かせても結局俺の方が丸め込まれてしまう。それもそうだ、はこの近くの進学校で上位の成績に食い込むくらいには頭が良い。やはり頭が良いと要領も良いのか、自分の部屋のことも俺の部屋のことも、そして勉強も全てこなしてしまう。部活をしていないから時間がある、とは言っているが、それだけでこんなまめなことはできないだろう。それでも、毎日こんなことをしていてはいくら要領のいいでもいつかどこかでパンクしてしまいかねない。そこで決めたのが、平日俺の部屋に来るのは三回までというルールだった。ただし曜日を定めていないためいつが来るか分からず、今日のみたいにドッキリのような出迎えがあるのだ。

「成績は大丈夫なのか?」
「影山さんに心配されるようじゃ私も終わりですね…」
「お前の心配をして何が悪いんだ、何が」
「影山さんは自分の心配だけしていればいいんですよ。ほら、またスポーツニュースは及川さんの記事の方が字数多いです」
「言っとくけどそれ試合全然関係ない記事だからな」

 が取り出したスポーツ新聞を横目で見る。及川さんのことが書かれているという記事は注目の選手をピックアップしたものであったが、内容は試合やプレイに関することではなく、殆どが及川さんのプライベートに関してだ。しょうもない記事だな、と思いながら着替えようとすると、「着替えはジシツでオネガイシマス!!」と顔を林檎のように真っ赤にして怒りだす。人の衣類全般洗濯しておいて今更何を、と思ったが、夕飯をお預けにされても困るので大人しく従うことにした。
 高校生の癖に母親みたいに口うるさいことは多いし、頭も良くて要領も良くてよく気が利いて教えたことは大概何でもすぐに覚える。バレーのルールや現在活躍している選手に関してもすぐに覚えてしまった。それなのに“そういう所”は純情だ。聞けばこれまで誰かと付き合った経験もなかったらしく、更には彼女の通う進学校というのは中高一貫の女子校であるため、そもそも自身男性への免疫は高くない。その割にほいほい家に上がるわ人の世話を焼くわ挙句小言三昧と、時々俺を男として認識していないのではないかと思う。

(俺といて照れるなんてとこ、見たことねぇし…)

 もやっと不安が渦巻くと、着替えの手が止まる。そして今まさにの手にしていた新聞で話題になっていた人物が頭の中で「トビオちゃんザンネーン!」と嬉しそうに言うので無性に腹が立ってクローゼットの扉を力任せに閉めた。するとその音を聞きつけたが飛んで来て「どうしたの!?」と聞いて来る。…はいいが、俺は上半身裸なわけで、それを見るとまた真っ赤になって口をぱくぱくさせたかと思えば、自分も勢いよくドアを閉めて出て行った。
 慣れられても困るが、意識されないのも困る。積極的に来られても困るが、さっきみたいに逃げ出されても困る。俺はに常に二律背反な気持ちを抱いている。ここまで部屋の中に踏み込んであらゆることを任せているにも拘らず、俺は未だにキスの一つも許されてはいない。いや、確認をとった訳ではないが、いつも抱き締める度に固まるを見ると、もし何か間違いを起こした日には二度とこの部屋に来てくれなくなってしまいそうなのだ。ちょっと触っただけで赤くなって俯き、いつも俺に説教する口を閉ざすも可愛くない訳ではないが、俺としてはそろそろ先に進みたい訳で、あのよく回る口を塞いでやりたいと思わないこともない訳で。

(でもアイツの嫌がることをする訳には…)

 何度繰り返しても答えの見つからない問いを、それでも自分に振りかける。どうすればこの先へ進めるのか、それとも自然とそういう流れになるのを待つべきなのか、と
 着替えも終わり、今日も自問自答を繰り返して部屋から出ると、は取り込ん洗濯物を畳んでいた。元々小柄な方だが、後ろから見るは一層華奢に見える。それを言った時にはこれが女子の平均だと反論されたが、いや、あれは華奢な部類だろう。あの小さな体のどこにこれだけ多くのことをこなすエネルギーがあるというのか。
 意地らしい、健気、真面目。を言葉で表すならこんなものかと思う。「よくお前に付き合ってくれたな、しかも女子高生が」と何度も言われたことがあるが、実際そうだと思う。女子高生と言えばもっと遊びたいものなのではないのか。学校帰りに友達と寄り道したり、同じ年代の彼氏だったら放課後デートというやつもできる。話題も共感できるものが多いだろう。…それも、何度も繰り返した自分への問いだ。
 すると、洗濯物を畳み終えたのか、は座りながら両腕をぐっと上に伸ばした。そして、きっちり揃えられた洗濯物の一つを手にし、何をするかと思えば。

「…影山さん」

 俺のジャージを抱き締め、小さな声で俺の名前を呟く。見てしまってはいけないものを、見てしまった。
 しかしそんな時に限って運悪く、部屋のインターホンが鳴る。見ていたことを見られてしまう。それは俺にとってもにとっても非常にまずい。が、咄嗟に隠れられるはずもなく。

「はー、い…………」
「……いや、その……」
「…………」
「見る、つもりはなかった」
「…………」
「今、出て来たら、偶然……わ、悪かった……」

 俺を見たまま固まる。インターホンに出ようとしたまま、本当にそのまま固まる。表情も変えず、何も言わない。俺は俺で何とか弁解しようとしたが、だめだ。口を開けば開くほど墓穴を掘ってしまっているようにしか思えない。やがて、ようやく頭の中で状況が把握できたらしいの顔は、みるみる真っ青になって行く。赤くなったり青くなったり忙しいやつだ、なんて呑気に考えている場合ではない。

「…………」
、」
「い、いやあのっ、これは違うんです!別にいつもやってる訳じゃ…!」
「いつも……」
「へっ!?あっ、いやだからの!そうじゃなくて!」

 今度はが必死に取り繕おうとしている。こんなにも慌てふためくなんて見たことがない。終いには涙目になってしまう始末。色々と言い訳の言葉を並べる声も小さくなり、やがて潤んだ目は俺から逸れてしまった。ぎゅっと制服のスカートを握り、口も閉ざしてしまう。
 は寂しいのだろうか。さっき俺の名前を呼んだ声は、決していつものように明るい声ではなかった。俺の部屋で俺の帰りを待っている間、俺の部屋に来ない日、一体がどんなことを考えているのか俺は知らない。俺の前では明るく元気に振る舞っているが、俺のいない時のなんて分からないのだ。もしかして、知らない内に泣かせているなんてことがあったりするのだろうか。

「悪い」
「だから…その……これは、違うんです…」
「そうじゃねえよ。…あんまり構ってやれなくて悪いって言ってんだろ」

 との微妙な距離を詰めるために近付くと、びくりと肩を揺らす。今にも後ずさりそうなの腕を掴むと、そのまま勢いよく引き寄せた。の足はもつれて転びかけるが、彼女一人を支え切れない俺ではない。体勢を崩したを腕の中に閉じ込めると、またいつものように固まるが今日は離してはやらない。

「お前、もっと甘えてみろよ」
「…ああああまえるって、ど、どうやって…」
「何かあんだろ、手繋ぎたいとかキスしたいとか」
「キ…っ!?」
「ねぇのかよ…」
「へっ!?あ、え…っと…妄想したことない、とは、言えないです、が…」
「……」
「いいい今の忘れて下さい!今の!」

 パニックに陥り始める。けれどそれでも腕を解かない俺に、段々と抵抗を始める。けれどそんなもの到底効くはずがなく、それ以上に力を入れて抱き締めると、もう何も言わなくなった。
 甘えて見ろとは言ったが、妄想したかとは聞いていない。とんでもない爆弾を落としやがった。今は俺も上手く切り返しができそうにない。口を開けば余計なことを言ってしまいそうだ。かと言ってこの体勢からを離せばそのままキスをしたい衝動に駆られそうでならない。
 困った、色んな意味でを手離せなくなってしまった。









(2014/12/08 hq夢企画・大人彼氏×女子高生さまへ提出)