付き合って一カ月になる一つ年下の彼氏は、随分純粋なのである。私から付き合って欲しいと告白したのだが、“そういう意味”だとは受け取ってくれず、「どこへですか」と本気で言われた(そんな漫画のような大ボケを体験するのは初めてだった)。あとは、例えば並んで歩いていて距離を詰めようとすると、詰めた分だけまた離れられてしまう(私が嫌われているようだ)。
 純粋と言うのか、馬鹿と言うのか、なかなかこちらの言動の意図を汲み取ってはくれない影山飛雄。そこが可愛い所でもあるのだが、そう言う訳で私と影山くんの仲は一向に進展しないままだ。私が年上だから遠慮しているとか、そういうのは全くないと思う。そういうタイプの人間ではないからだ。
 煮詰まった私は、とうとうそんな悩みのあれこれを友人に打ち明けたのだった。

「それって、影山は付き合うって意味本当に理解してんの?」
「うーん…」

 している、とは言いきれず私は苦笑いした。
 メールが素っ気ないのは部活が忙しいから、話が盛り上がらないのは私も彼もお喋りな方ではないから―――ちゃんと理由は言えるのに自信がないのは、彼が私を好きなのか確かめたことがないからだ。「適当に相手しておけば飽きるだろう」と考えるような子ではない。だから、影山くんに酷いことをされている訳ではないのだけれど、それ以上に無知と鈍感と言う影山くんの残酷さには、そろそろ私も何かしらアクションを起こさねばとは思っていた。
 クラスどころか学年も違うと合同授業もないし、教室ではどんな様子なのか分からない。時々勇気を出して一年の教室に行ってみるけれど、大概彼は寝ているか不在かのどちらかだ。移動教室で彼の教室の前を通りかかっても、目が合って軽く会釈をすればそれで終わり。

たちのどこが“付き合ってる”なのか分からないんだけど」
「私もそう思う」
「もっとこう、何かしなよ何か!」
「何かって何よ」
「それはほら…何かだよ」

 それが思い浮かばないから困っているのだが―――せっかく部活前に居残って話を聞いてくれている友人にはそんな事は言えず、私は出かかった言葉を飲み込んだ。やがて「そろそろ時間だから」と去って行く彼女に手を振って、私は机の上の鞄に顔を埋めた。
 結局今日も答えが出ないまま、私は頭を抱えて帰ることになりそうだ。影山くんとは未だ手すら繋いだことのない私は、正直そろそろバレーボールにすら嫉妬しそうである。せめて同い年だったら共通の話題もあったのだろうが、学校行事の全てが学年別であるためそうは行かない。社会見学の話題は時期がズレるし、体育祭や球技大会、文化祭ももちろん学年別。これらに関しては、うちが行事に熱いクラスなため、練習や事前準備に随分熱心であり、余計影山くんと話す機会が減ってしまう。
 もっと話したいとか、もっと会いたいとか、そう思っているのは私だけなのだろう。付き合いたいとか、好きだとか思うのもきっと私だけ。そう思うと段々寂しくなり、それは小さなため息とともに吐き出された。
クラスメートがぱらぱらと帰り始め、そろそろ私も帰ろうと顔を上げた。このままだとここで眠ってしまいそうだ。最近は寝る前まで影山くんのことで悩んでしまい、いつの間にか眠っている、というループに陥っている。そう簡単に上手く行く相手ではないことは最初から分かっていたはずだ。けれど、いざ現実に突き当たると思ったよりもダメージが大きいことを実感している。
 せめて少しでも顔が見れないかと、わざわざ遠回りをして一年の教室の前を通るのはもう癖のようなものだった。大概、ホームルームが終われば彼はすぐ部室へ直行するし、会えるはずがないのは分かっている。けれど“もしかして”に懸けてしまうのだ。

(…ん?)

 だが、今日は違った。掃除当番なのか、大きなゴミ袋を持った彼が教室から出て来た。慌てて追いかけようと名前を呼ぼうとした。けれど、「かげ、」まで言って私の声はストップする。目の前で影山くんは追いかけて来たクラスメートらしき女の子に呼び止められたのだ。そして二言、三言話すと、その女の子は影山くんの肩を数回叩いてまた教室の中に消えて行った。
 まだ私もしたことないのに―――もやっとした気持ちが渦を巻く。私も触ったことないのに、私も気軽に話しかけられないのに―――唇を噛んで、ゆっくり遠くなる背中に向かって走り出した。
 私だって本当はもっと近付きたい。もっと知りたいこともたくさんある。邪魔したくない気持ちはあるけれど、友人とその彼氏の話を聞いているとどうしても羨ましくなるのだ。同じようにとは言わないけれど、せめてもう少し影山くんとの距離が縮めばいいのにと、そう願って止まない。

「かっ影山くん!」
「はい?」

 私がどれだけ勇気を出しても、影山くんはいつもと変わらない様子で、いつものように返事をする。なんでここにいるんですか、とか、何か用ですか、とか、そういうことすら聞かれない。私だけが緊張して、私だけが悩んでいる。そう思うと、またぎゅうっと心臓が締め付けられるような感覚がした。
 崩れない表情に崩れて欲しいと思う。いつもと違う影山くんが見たいと思う。少しくらい、私を意識して欲しいと思う。色んな我儘が頭の中を占めたら、私の手は知らない内に動いていた。

「何してるんスか」
「触ってる」
「そりゃ…わかりますけど」

 さっきの女の子が触っていた所をぺたぺたと触った。消毒消毒、と性格の悪いことを考えながら、私は初めて影山くんに触れた。

「あんまり気軽に、触られちゃだめだよ」
さんはどうなんスか」
「私は…違うでしょ」

 私は違うと思って欲しい、他の子と区別して欲しい。私だけが触れていいのだと思って欲しい、他の子に簡単に触られないで欲しい。“彼女”がいるとはそういうものなのだと、影山くんに自覚して欲しい。
 そのまま私の手は、恐る恐る影山くんの制服の袖を掴んだ。手を握るだけの勇気はどうしても出なくて、影山くんの手の大きさや温度は、また私の想像の中だけで留まってしまう。
 すると、影山くんは私の手を軽く払って顔を背けた。拒絶された、と思った。
 嫌だったんだ、駄目だったんだ、さっきの子はいいのに私は駄目なんだ―――そう思うと一層胸が痛む。気持ちがどんどん割れて粉々になってしまいそうだ。それならなんで、付き合って欲しいと言った時に断ってくれなかったんだろう。
 けれど、私の思いとは裏腹に、影山くんは訳の分からないことを言い出した。

「そうじゃなくて、さんだって簡単に触られてるじゃないですか」
「へ?私、男子とはそんな…」
「男女構わず」
「いや、女の子は…あれは友達でしょ?」
「友達でもです」

 突然顔を険しくした影山くんは、私が動揺して躓きながら返す答えにも、ずばずばと一瞬で言葉を返して来る。更に眉間にしわを寄せ、不機嫌な雰囲気を隠しもしない影山くんは、益々訳の分からないことを言った。

「同性でもカウントに入ります」
「はい!?」

 一体どこで何を見たと言うのか。思い返してみるが、私が普段接触するような相手といえば、さっきも相談に乗ってくれていた友人くらいしかいない。確かに時々冗談を言い合っては小突き合うこともあるが、何か濃厚なスキンシップを取っていた覚えは、当然だが全くない。
 段々分からなくなって来た。あんなに必死に悩んで泣きそうにすらなっていたのに、影山くんの発言が突拍子なさ過ぎて今はついて行くのに必死だ。さっきまで私は、あの影山くんのクラスの女の子に嫉妬していたはず。なかなか影山くんとの距離が縮まらないことに、私が悩んでいたはず。それが、内容がすり替わって来てはいないか。私が、ではなく、影山くんが、になって来ている。
 これは、影山くんも少なからず何かしら思う所があった、と思っても良いのだろうか。嫉妬というには余りに幼稚で方向性がぶっ飛び過ぎている。同性でもカウントに入れるなんて、自分の大事なおもちゃを人にとられたのと同じような感覚ではないか。そうではない、そうではないはずだ。けれど、もしそれが彼の中での純粋な嫉妬なのだとしたら、とんでもなく独占欲が強いということにはならないだろうか。

さん」
「はい!」
「触っていいですか?」
「なんで!?」

 思わず叫んで返してしまった。すると、影山くんは不機嫌を思い切り顕わにしながら唇を尖らせる。そしてぼそぼそと「なんでって…」と続ける。突然の言葉に動揺した私は、次に何が飛んで来るか分からず思わず身構えた。

「理由なんか要るんスか」
「へ…」
「付き合ってるのに、理由って要るんですか」
「い、いや…」

 至極真っ当な答えだ。にも拘らず固まってしまったのは、ここに来て思わぬ言葉の連続で、とうとう処理能力が追いつかなくなってしまったからだ。
 そんな素振りは一度も見せたことがなかった。影山くんは私の前で表情一つ変えたことがなかったし、付き合って欲しいと言った時すら少しの動揺も見せなかった。それなのに、なぜ今突然“こう”なのか。変なスイッチを押すようなことは言っていないはずだ。寧ろ「面倒臭い」と思わせるようなことしか言っていない。影山くんが私に興味がないのならば。けれど、もしそうじゃないのだとしたら―――。

「要らない、かな…」
「じゃあ」

 そう言って私の頭を空いている方の手で乱暴に撫でる。撫で方も知らないのか、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜるようにして。暫くそうしているとやがて満足したのか、表情から険しさの消えた影山くんは、ゴミ袋を片手に行ってしまった。そんな影山くんを追うこともできないまま、暫くそこから動けず私は立ちすくむ。

(何、今の…)

 数秒なのか、数分なのか、やがてようやく流れを把握で来た時、あまりの恥ずかしさに消えてしまいたくなった。私も私だが、影山くんも影山くんではないか。分かりにくい癖に、伝えたがらないし何もしようとしない。だから、今日まで何も起こらなかったのだとようやく分かる。
 撫でられた頭にそっと自分の手で触れると、さっきの不慣れな感覚が思い出されてまた恥ずかしくなるだけだった。







(2014/12/12 影山×「触っていい?」)