ちゃーん。さっきの女子の体育、バレーだったんだって?」

 からかいを含んだ声が後ろからかかった。私は未だじんじんと痛む腕を押さえながら振り向くと、予想通りの人物が愉快そうににやにやと笑いながら立っていた。

「聞かなくても知ってる癖に」
「で、ちゃんとサーブ打てましたか〜?」
「打てません!ネットに全引っ掛かり!分かっていながら聞くなばか!」

 それはもう愉快そうに笑いながら訊ねて来る黒尾に吠えるけれど、そういうのは逆効果だ。余計面白がってからかって来るのが黒尾鉄朗という人物なのである。けれど突っかからずにはいられないのもまた私の性格で、いつもこんなやり取りをしては研磨に「うるさい」と一蹴される始末。けれど今は私たちの言い争いを止める研磨はいない。
 黒尾が体育の度にこうしてからかって来るのにもちゃんと訳がある。いや、ちゃんとした訳とは言い難いのだが、私が大の運動音痴なのだ。体育の成績は万年下から数えた方が早い。前に同じ体育館で体育になった日なんて最悪だった。その時は確か女子がバスケで男子がバレーだったか。ゴールのリングにすらボールが掠りもしなかったことは散々ネタにされたのだ。
 じゃあどこで点数を稼いでいるかと言えば、定期考査の保健の領域だ。これでなんとか体育の成績3をキープできている。筆記まで壊滅的だったら残念なあひるさんが一匹だけ成績表に泳ぐことになってしまう。

「じゃあレシーブは?」
「レシーブってなに」
「……ああ、うん、そっか」
「その哀れむような目やめてよね!」

 別にいいのだ、私は他のことで補えば良いのだから。体育ができなくても死ぬわけじゃない。黒尾みたく運動部に入っている訳でもない。むしろ私が体育をすることはある意味危険だ。擦り傷はもちろん、打撲に捻挫、果ては剥離骨折まで、中学以降ありとあらゆる怪我を体育で負って来た。今日もオーバーハンドパスとやらで突き指しそうになり、ボールを追い駆けて走って転んで膝を摩擦で火傷した。これが地味に痛い。ふーん、と言いながら私の頭のてっぺんから爪先までを眺める黒尾。すると真っ赤になった膝を見てまたにやりと笑った。バレたらしい。

「体育館に石でも落ちてたんですか?」
「もう黙ってくれないかな!」
ちゃん、どうせ腕とか真っ赤なんだろうね〜」
「どうせとか最低だ!」

 図星だ。体育の最初に散々オーバーやらアンダーの練習をさせられたら、見事なまでに前腕の内側が内出血で真っ赤になってしまった。見るのも気持ちが悪いので、体育が終わって以降、わざわざ制服の袖を捲って確認はしていないが、そう簡単に消えてはくれないだろう。昔からそう言う体質なのだ。パスの練習だけでなく、試合になった途端生き生きし出したバレー部女子が、なんでかサーブで私ばかりを狙って来るので自然と受ける回数は増え、この真っ赤な痛々しい両腕ができあがったのである。多分、いや絶対にこの腕を見たら黒尾はまた笑うに違いない。

ちゃん、すっげぇ狙いやすそう」
「どういう意味…」
「絶対サーブとれなさそうな奴を狙って点数稼ぐんだよな」
「何それ素人相手に酷い!それで毎回毎回…!」
「うわあ、既に狙われてたちゃんカワイソー」
「かわいそうじゃないし!全然平気だし!」
「とか言ってさあ…」

 そう言いながら黒尾は徐に私の右腕を掴む。そして何の承諾も得ずに私の制服の袖をばさっと捲った。

「あーあ、真っ赤っか」
「ばっ、バレーの時は毎回だし…!」
「週に二回、体育の後はこんな腕になっちゃって…」
「二、三日すれば治るし…!」
「で、その二、三日後にまた体育だから無限のループな」
「黒尾ほんと性格悪い」
「え…こんなに心配してるのに心が痛いです…」
「顔に“ざまあ”って書いてありますけど」
「バレたか」
「もういいじゃん腕離してよ」

 まじまじと見られると恥ずかしい。なんたって目の前にいる人間はこれでもバレー部の主将なのだから。そんな彼からしたらこんな内出血なんて笑いのネタにしかならないだろう。日常的にあんなことをやっている黒尾からすれば。放課後、体育館を通りがかった時に少しだけ練習を覗いたことがあるが、あのボールの凄まじさには殺傷能力があるのではないだろうかと思ったほどだ。あんなサーブ受けたら間違いなく私の腕はもげる。よくて骨折、きっと病院行きだ。
 私の腕を掴む黒尾の腕は私の一回りは太くて、見ただけで毎日熱心に部活をやっていることが分かるほど鍛えられている。手は私の手首を掴んでもなお余るくらいには大きい。…本当に、この男のサーブは受けたくないと思う。
 しかしいつまで掴んでいるつもりか、穴が空くのではないかというほど私の内出血だらけの腕を見て、ぽつりと一言。

「…せっかく白くてキレーな腕してんのにもったいねぇな」

 そして、壊れ物を扱うように赤くなっている腕を数回撫でると、何事もなかったかのように制服を戻した。

「は…なに、今の」
「別に?」

 いつも厭味しか言わない口から紡がれた言葉に、私の思考は停止する。いや、もしかすると幻聴だったのかも知れない。聞き間違いだったかも知れない。黒尾がそんな優しいことを言うはずがないのだ。私にはからかうか馬鹿にするかしかしないような黒尾が、そんなまさか。しかも追い討ちをかけるように腕を引っ叩いたりするのではなく、撫でたのだ。それはそれは優しい手つきで。あんな恐る恐る触られたことなんてない。平気で小突くし、平気で膝かっくんするし、平気でデコピンもする。果ては後ろで束ねていた髪を思いっ切り引っ張られたこともある。
 その黒尾が私相手に優しいはずがない。

「ま、レシーブの練習くらいなら昼休みに付き合ってやらないこともないですけど?」
「いっ要りませんししませんし!」
「初心者向けに優しく教えてやるって」
「その言葉が一番信用できない!」

 そうだ、黒尾はいつもこうやって私を馬鹿にして、からかって、遊んでいるだけなのだ。さっきのだってちょっと私をからかっただけだ。動揺する私を見て内心大笑いしているに違いない。だってそうだろう、何の理由があって黒尾が突然優しい言葉をかけたりするのだ。この黒尾が。

「ちょっとは信用してくれてもよくね、ちゃん?」

 私の顔を覗き込む目は、さながら獲物を狙う猛禽類だった。私、いつか喰われる。









(2014/11/17 黒尾誕生日おめでとう!)