影山には、まだ高校生の彼女がいる。そんな噂が流れたのは、影山が大学に進学してすぐのことだった。周りには犯罪だのなんだの言われたが、自分も一か月前まで高校生だった身であり、その“女子高生の彼女”というのは一つ年下なだけで、影山が高校二年の時から付き合っている。昨日今日できたばかりの彼女ではないのだ。 それを言おうにも周囲は勝手に妄想を膨らませ、噂にはやがて尾ヒレが付く。ありもしない事実は脚色されいて、最早それらは影山の手には負えなくなっていた。それを溜め息まじりに彼女に報告すると、「まあまあ、人の噂も何とかって言うでしょ」と朗らかに笑って見せる。 「四十九日?」 「それは法事だよ飛雄くん…」 大学生になっても影山と一つ年下の彼女との関係になんら変わりはない。相変わらず影山の生活はバレー一色で、優先すべきはバレー。強いて言うなら、大学になり少々練習がハードになったくらいだろうか。あと、座学がとんでもなく苦痛だ。 彼女であるは烏野でも進学クラスのため、今年は受験勉強一色で、お互いに忙しい日々を送っている。けれど、こうして週に一回は互いがどちらかの家にお邪魔するのは定番となり、夕飯を共にすることもある。 今日は影山の家にがやって来ているのだが、帰ってみると影山の家族は全員出払っており、帰りが遅くなるとのことだった。これも別段珍しいことではなく、こう言う時は大概、二人でキッチンに立って適当にご飯を作るのが習慣と化していた。 「否定するのがいちいち面倒臭ぇんだよ」 「私はどんどん噂が流れてくれた方が良いけどなあ…」 「あ゛ぁ?」 人参の皮を剥く手を止めて、影山はを睨んだ。ちなみに今日は当然の如くカレーで、皮を剥くのが影山の仕事、それ以外は彼女の仕事だった。目下、は玉ねぎと格闘中である。涙をぽろぽろとこぼして、それを拭いながらは言う。悪い虫よけになるでしょ、と。 「意味が分かんねえ」 「本当に鈍感だなあ…」 「褒められてる気がしねえ」 「うん、褒めてないからね」 人参の皮剥きが終わり、次に影山はじゃが芋を手に取った。流れ作業のように、彼女は次に人参をきれいに切って行く。「玉ねぎは切ったら水に浸けておくの」と初めて二人でカレーを作った時にが言った通り、今日も切られた玉ねぎはボウルの中で水に泳いでいる。 そうやって包丁を握る手の危なっかしさなくなったな、と影山はの手元を見ながら思った。初めの頃は二人とも酷かったものだ。人参はともかく、影山はじゃが芋をピーラーですら皮を剥くことができず、代わりに爪を負傷したことがあった。セッターの影山にとって指先は命と言っても良い。そのため、暫く影山にはじゃが芋皮むき禁止令ががによって出されたこともある。それが今ではお互い慣れたものだ。トントンと包丁で野菜を刻むリズムも一定で心地好い。 「飛雄くんの学科って、女の子いるの?」 「そりゃあ、色んなスポーツがあるからな」 「可愛い子いる?」 「?さあ…」 「飛雄くんに聞いた私が馬鹿だったよね…」 「ハァ!?」 あからさまな溜め息に、影山は思わず声を上げる。しかし、さすが二年も付き合っていると、は突然の怒鳴り声にも驚くことはない。 影山は、さっきから彼女の発言が全く理解できなかった。嬉しくもない噂が流れてもそれが良いだの、鈍感だの、むっとしながら人参を大きめに刻む彼女を見る。「よそ見してると次は指の皮剥くよ」―――そう警告された影山は、自棄になりながらじゃが芋の皮剥きを再開した。 「飛雄くん」 「今度は何だよ」 「彼女が高校生って嫌?」 今日のは本当におかしい。何が言いたいのかが見えない。いつも、彼女との会話はもっとストレートなもののはず。それなのに今日はまどろっこしいというか、遠回しにこちらを窺っているというか、とにかくしっくり来ないのだ。 別に、彼女が高校生であることに問題は何もない。あと一年もすれば彼女だって自分と同じ大学生だ。自分だってこの間まで高校生だった。それが、何を今更そのようなことを気にするのだ、目の前の彼女は。 「お前が高校生であることを不満だと思ったことは一度もない」 「…そっか、うん、それならいいや」 影山を見上げてにこりと笑う。何が何だか分からないが、とりあえず彼女の中では解決したらしい。影山は全く解決できないままなのだが。もやもやは晴れない。 いつの間にやら彼女は人参を切り終わっており、残されたじゃが芋の皮剥きをは包丁で手伝って見せた。影山がピーラーで剥くよりもスムーズで危なげがない。いつの間にこんなに進歩したのだろうか。家で料理を手伝う回数が増えたりしたのだろうか。 特に、最近のの作る料理はぐっと美味しくなった。元より、一度も不味かった試しはない。高校の頃も「育ち盛りなんだから買いパンじゃだめです!」などと言い、影山に早弁用のお弁当を作って来てくれていたくらいだ(前日の夕飯の残りに卵焼きを入れた簡単なものであったが)。だが最近は栄養バランスも考えてくれているらしい。今日のカレーもかなり野菜の量が多い。ごろごろとしたじゃが芋や人参がたくさん鍋の中に投入されて行く。 だがきっと今日のカレーも美味しい。カレーなんてどれも同じだと言われるかも知れないが、彼女と作り、彼女と食べるカレーはこの世で一番、特別に美味しいのだ。 * 翌日、急遽体育館の点検の上に大学の試験期間が重なり、バレーの練習はなくなった。それを知らせるメールを、一応昼休みにに送った。それは間違いない。「よかったね!ちゃんと試験勉強しないと駄目だよ!」とというメールの返事をもらったのも今日の昼だ。 それなのになぜ、なぜ正門前にがいる。ちらっと門の中を覗いてはまた首を引っ込め…を繰り返している。それを見て影山は固まった。完全に不審者だ。しかも烏野の制服―――つまりあの噂が本当(元々本当だが)だと周りに知られる羽目になってしまう。別に、彼女がいることが知られるのは構わない。だが、まるで自分が彼女と付き合っていることが悪いことのように言われたり、冷やかされたり、しつこく聞かれたりするのが気に食わないのだ。 しかしそんな影山の悩みをよそに、影山を見付けてしまった彼女は「飛雄くん!」と言って大きく手を振って来る。 「なあなあ、アレが例の高校生彼女?」 「影山もスミにおけないなあ」 「うるせぇ!それから!お前なんでここにいる!」 「!ちゃんって言うのか!」 「勝手に名前で呼ぶなボゲェ!!」 めいいっぱい叫ぶと、にこにこと嬉しそうに笑いながらは駆け寄って来た。 「こんにちは、影山くんがいつもお世話になってます!烏野高校三年生のです!」 「高校…」 「三年生…」 「ちなみに影山くんとは私が高校一年生の時から付き合っています。卒業しちゃって影山くんが心配なので、皆さんどうぞ影山くんをよろしくお願いいたします!」 「何だよソレ!」 「だって飛雄くん、鈍感だから誰かに好意持たれても気付かないでしょ?」 それは否定できなかった。の時もそうだったからだ。むしろ、影山自身がが気になっていることにすら気付かなかった。正しくはそれが恋愛の情だと分からなかった、というものであるが。からストレートに恋愛感情で好きだと言われるまでは気付かなかった。 だからと言って、大学に来てまで主張する意味なんてあるのか。このまま放置していても自分で上手く誤解を解けたかと聞かれれば、それは自信がないが。ここまでムキになってまでやることなのか。アウェーな大学と言う場所に制服で現れてまで。下手をしたら他の男に捕まるのはの方ではないか。そう思うと沸々と怒りが湧いて来る。だが。 「飛雄くんには私がいるんだよってどこかでちゃんと言っておかないと、私が不安なんだもの」 そう言って唇を尖らせる。そんな彼女があまりに可愛すぎたので、沸点に近付いていた怒りが急降下する。すっかり何もかもどうでもよくなって、ここが多くの学生が行き交う正門付近だということも忘れ、拗ねた顔をしたを、影山は強く抱き締めた。 |