私は身長が低い。周りがどんどん大きくなる中、私の身長は小学生の頃に150cmで止まってしまった。お陰でついたあだ名は悪意のこもった「チビ」。その二文字は私が世界で一番憎むべき言葉だ。けれど、男子たちにチビチビと言われる中、幼馴染の孝支くんだけは私を馬鹿にはしなかった。
 私のことを昔から「ちぃ」と呼んでくれている孝支くん。まあそれもチビから来た愛称なのだが、チビとストレートに言われるよりはずっとマシだ。何より、孝支くんだけがそう呼んでくれることが嬉しかった。孝支くんは私の幼馴染で、初恋の相手で、それは今でも続いている。
 高校生にもなると孝支くんは見上げるほどに背が伸びた。「バレーをするには低い方だよ」なんて苦笑いしながら言ってたけれど、私を置いてどんどん大きくなる孝支くんが少し恨めしかった。それがそのまま、私と孝支くんの距離になってしまいそうで。私は相変わらず150cmジャストの身長。女子は二十歳まで少しだが身長は伸びるという話を聞いたことがあるが、あんなの嘘に違いない。
 “バレーをするには低い方”の孝支くんも、私と並ぶと当然身長差は大きい。話していると私の首は結構疲れる―――程度に思っていたのだが、最近になり急に危機感を覚え始めた。

「菅原くんに告白しようと思ってるんだ〜!」

 近くの席から女子の賑やかな声が聞こえ、私は飲んでいた牛乳を噎せた。その声の主は学年でも可愛いと評判のクラスメートの女の子のもの。私より背も高くて、可愛くて、孝支くんと並んだ所を想像するとジャストサイズになった(そしてただ落ち込むだけの私)。
 そう、最近こういう話をよく聞くのだ。孝支くんはどうやらモテ期というやつらしい。もしもあの子の告白に孝支くんがOKをしたら、私のポジションは奪われてしまう。今までは隣にいることなんて自然で普通のことだったのに、それができなくなってしまう。いや、今はバレーのことで頭がいっぱいな孝支くんが女の子と付き合うなんて考えられない。考えられないけれど、孝支くんだって高校生男子だ。もし心が揺らいでしまったら―――。

「ちぃ、昼休み中悪いんだけどきょうか…」
「ふあっ!?」

 孝支くんのことを考えていたら、まさにその孝支くんが現れた。声を掛けられた私はあまりに驚いて椅子からずり落ちそうになりる。ガタタ、と大きな音を立ててしまい、一瞬クラスの注目を浴びた。孝支くんの前でこれはかなり恥ずかしい。

「いや、あの、驚かせた?」
「ちょ、ちょっとぼーっとしてたから!大丈夫!何だった!?」
「実は世界史の教科書忘れてさー。ちぃのクラス、今日世界史あったっけ?」
「あるある!持ってる!どうぞ!」

 ずばっと教科書を差すと、いつもと様子の違う私に違和感を抱いたらしい孝支くんは、「大丈夫か?」と顔を覗き込んで来る。「だだだ大丈夫だし!それより予鈴鳴るよ!」教室から追い出すように出口まで孝支くんの背中をぐいぐいと押す。
 しかし、その途中に事件は起こった。

「菅原くん!」

 さっき、孝支くんに告白すると言っていた女の子が孝支くんを呼び止める。私も孝支くんも、同時にそちらを振り返った。

「今日の放課後、少しでいいから時間くれないかな?本当にちょっとでいいから!」

 両手をパン、と合わせて上目遣い。こんな可愛い子にこんなことをされてどきっとしない男子なんているのだろうか。私ですらちょっとどきっとしてしまった。
 それにしても、当然だが私の存在なんてまるで無視だ。これは間違いなく告白のための呼び出しであり、私は邪魔だということ。教室でこんな勇気の要ることができるなんて、よほど自分に自信があるのだろう。私にはないものだ。事実、彼女はとても可愛い。
 そんな彼女に、孝支くんは「部活が始まるまでなら」とさらっと返事をした。すると、「ありがとう!」と頬をやや赤く染めてにっこり笑う彼女。私はできないような表情だ。
 私も彼女も片思いは同じだけれど、私の場合は年季が入って初恋をこじらせた面倒な片思い。それに引き換え、彼女はまるでこれから咲き誇るのを待つ蕾のような真新しい恋。どっちが良いかなんて、聞かなくても分かっている。

 それから放課後まで、私は気が気でなかった。授業は右から左へ全て筒抜け。受験生にはあるまじき集中力の無さに友人にまで溜め息をつかれる始末。

「そんなに菅原くんがとられるのが嫌なら、告白自体阻止しちゃえばいいじゃん」
「そんなこと出来ないよ…無茶だってば」
「だって、菅原くんが断るのなんて目に見えてんだもん」
「いやでも、人としてそれは…孝支くんだって行くって返事しちゃったし、約束を破るような人じゃないよ」
「そんなこと言っていたらいつまで経ってもは“幼馴染のちぃ”のままだぞー」

 告白自体を阻止を、考えなかった訳ではない。何とかして放課後、孝支くんを引き留めて部活時間にまで引っ張りさえすれば―――でもどうやって。まさか知らないふりをして現場に乗り込む訳にも行かない。すると、こういう話の好きな悪友はにやりと笑った。「私に良いアイディアがあるよ、チャン」と。



*



 ホームルーム終了のベルが鳴る。それと共に私は鞄を引っ掴んで一番に教室を飛び出した。「廊下は走るなよー」という担任の呑気な声が聞こえたが無視だ。孝支くんのクラスも丁度ホームルームが終わったらしく、続々と生徒たちが出て来る。私はその波に呑み込まれそうになりながら、たった今帰り支度を終えたらしい孝支くんの元へ突撃した。

「こっ孝支くん!ちょっと!」
「はっ!?え!?ちぃ、なに!?」

 孝支くんの腕を引っ掴んで教室から釣れ出す。孝支くんもギリギリで自分の鞄は掴めたらしい。そして、人気のない校舎の一番端の階段下の倉庫までやって来た。制止の声なんて聞かないふりをして狭い倉庫に孝支くんを押し込むと、私は後ろ手に倉庫の鍵をガチャリとかけた。意味が分からない、とでも言いたげに顔を引き攣らせる孝支くん。目を白黒させている。
 熟し過ぎた初恋は面倒臭い。拗らせてしまったら更に。幼馴染であれば尚更。良好な幼馴染ポジションを十数年守り続けた私を褒めてあげたいくらいだ。中学の時なんて、一体何度「好き」とこの口からこぼれそうになったことか。けれど年月を重ねるごとに段々と言い辛くなって、この関係が壊れてしまうことの不安の方が大きくなってしまった。初恋は心の奥底へぐっと押し留めて来た。これまでも孝支くんが女の子に告白されたと聞く度に、本当はすごく焦っていた。見ているだけなのは、もう嫌だ。昼休みに友人に言われた言葉が頭の中で繰り返される。いつまでも“幼馴染のちぃ”ではいたくない。女の子として意識して欲しい。

「ちぃ、どうした?やっぱり何かあったのか?」
「…あった」

 そう答えて、息を止めて、孝支くんに抱きついた。思いの外、勢いよく飛びついてしまったため、いくら小さい私でもそれなりの衝撃になる。踏ん張り切れなかった孝支くんはバランスを崩し、そのまま二人して倉庫の書類の山の中に突っ込んでしまった。
 プリントが宙を舞い、ひらりひらりと落ちて行く。丁度孝支くんの心臓の辺りに顔を埋めているため、その様子は見えないが、プリントの舞い上がる音や床にぱさりと落ちる音がして、何となく想像はできた。私の頭や背中にも、数枚のプリントが降って来る。
 それ以外は何も聞こえない。漫画のように孝支くんの心臓の音が聞こえる訳でもなく、お互い身じろぎひとつせず、口を開くこともない。沈黙の中、私はようやく両手を床について孝支くんから離れた。孝支くんが何かを言おうとしたのを止めるように、私は顔をぐっと近付ける。驚きと困惑が混ざったような、そんな顔をしている孝支くん。

「孝支くん、あのね」

 そのまま、耳元に唇を近付けた。そこで最後に囁く。

「私もう、チビのちぃじゃないよ」

 カチリ。止まっていた時計が私の中で動いた気がした。古い古い恋の時計が、今また動き出す瞬間だった。








(2014/10/07 菅原×同級生彼女)

Thanks...mattarihonpo