ちょっと変わった女のクラスメートがいた。一見、普通のどこにでもいる女子高生だけども、なぜかいつもどこか孤独を感じていそうな顔をしていた。友達がいないと言う訳ではない。多い訳でもないが。それでも、彼女―――が必ず寂しそうな目をする瞬間があることを、密かに知っていた。多分、誰も気付いていない。彼女の友人すら知らない、孤独な目。それは、休み時間に広げられる大量の楽譜の上にあった。こう休み時間ごとにバサバサと楽譜を広げられれば嫌でも気になってしまう。まして、二年連続で同じクラスになり、どれだけ席替えをしようとも前後左右どこかに彼女がいたとなれば。

 二年の梅雨頃だったか、の了承も得ず、隣の席に手を伸ばし、楽譜の一枚を奪い取った。歌だ。それは歌の譜面だった。だが合唱部ではないとは言った。そういやいつぞや噂で聞いたことがあるが、彼女は音大の声楽科を目指しているらしい。本人と友人が話しているのを聞いたのだったか、他のクラスメートの雑談を耳に入れたのかは覚えてない。それくらい不確かな情報だ。けれど、寂しくも真剣に楽譜を向き合う彼女を見ていれば、音大へ行きたいと言うのはただの噂ではないことは分かる。話したことは数える程度だが、地声もいい。歌わせたらどんなソプラノなのだろうかと想像したこともあるくらいには。

 では、は何に孤独を感じているのだろうか。声楽が好きなのだろう、歌うことが好きなのだろう、それで進路を決めることができたらこれほど幸せなことはない。話を聞いていれば、「合唱部に入ってみたい、けど」と彼女は零した。もう殆ど俺に聞かせる気のないような小さな声で。

 ああ、そうか。には同じ舞台に立つ仲間がいないのだ。声楽のコンクールはいつも舞台には一人きり。俺たちみたいに支え合える仲間もいない。たった一人で舞台に立つその孤独を、何かのきっかけで知ってしまったのだろう。ただ楽しかったはずの声楽の中に、孤独というやつを覚えた瞬間を。だが生憎、俺には同情する気も励ます気もない。元々そういう性格でもない。気の利く言葉なんか勿論持ち合わせちゃいない。だから、勝手にセンチメンタルな空気を漂わせるに、適当に言ってやった。「部活ってのも悪くねェ」と。するとどうしたものか、数日後「合唱部、入ったの!」と嬉しそうに報告して来やがった。まじでやったのか、この女―――正直、驚いた。俺が軽く言ったあの言葉を鵜呑みにして。中学の頃から声楽のレッスンを受けさせていた親なら反対もしただろう、怒られもしただろう、それをどう説き伏せたのやら。

 その後、三年になってもとは同じクラスだった。そしてまた隣の席にいた。すると、何やら躊躇いがちに携帯を取り出し、アドレスを交換しないかと言い出す。交換するのはいいが、俺はマメにメールをするような性格ではない。二年目の付き合いにもなればそれはも分かっているはずだ。それなのに、やけに嬉しそうに「ありがとう」と笑うの表情が、頭に焼きついたように離れなくなってしまった。

 これは、まずいやつだ―――そう気付いた時にはもう遅かった。何でもない会話を、会話と言えるのか分からないような毎日繰り返される放課後の言葉の応酬を繰り返すその度、の存在が自分の中でどんどん大きくなって行くようなそんな気がした。けれど余計なものは要らない。どうせ九月にはこの教室にはいないのだ。未練なんて一つでも少ない方が良い。だから俺にできることと言えば、平静を装って毎日変わらない会話をすることと、決してにメールを送らないことだった。一度そうして“いつもの繰り返し”を壊してしまえば、たちまちそれはいざという時に心残りになってしまう。

 だから、にも言わなかった。インターハイが終われば、この学校どころか日本からいなくなることを。例え短くともあれだけの数の会話のやり取りをしておきながら、が合唱部に入ることになった原因を作った人間になりながら、何も言わずにの前から去る。それしかできなかった。未練は少ない方が良い。でも、できることならの歌を聞いてみたかったと思う。一人だろうと、部活だろうと、たった一度でいいから、舞台に立つを見てみたかった。確かに本当に合唱部に入った時は呆れもしたが、がんばれという言葉に嘘はなかった。どうせなら頂点取って来いとも言った。部活でとる頂点―――優勝がどれだけとんでもないものか、には味わって欲しかった。でももうそれを知る瞬間を俺を見ることはできないのだ。俺は密かに調べていた。合唱部の関東ブロック予選やら本選やらの日程を。そして笑いが漏れる。その頃には、もう俺は海の外だったのだ。

 は獲ることができたのだろうか、頂点の星を。どこよりも一番高い場所、栄光に一番近い場所。そこに手は届いたのだろうか。そこで笑うことはできたのだろうか。もうあんな孤独な目をしていないだろうか。だがそれを知る術すらもう失ってしまった。捨てられなかった携帯にはまだ、の名前とアドレスが残っていた。結局一度も使うことなどなかったというのに。








(2014/08/02 Co.star/tacica)